2019年01月18日
光の道
Eternal Sea/安藤ヨシヒロさん*エレクトーン*
いいエレクトーン演奏。
楽曲がいい。
美しい曲です。
日本では、神道的な天晴れなニュアンスをベースにした
「いまここ」「自己観察」系が望ましいんじゃないかと思いますね。
これを「光の道」と言ってもいいんじゃないかと思います。
インド的な文脈の仏教は、むしろ日本人の心を穢(けが)します。
よくない。
この教理的な穢(けが)れを外していく必要があると思います。
しかし、こんなことをすればてんやわんやになりそう。
けれども、日本人は、人間や天人に転生する、転生してくるケースが多いため、
インド的な文脈の宗教は、かえって日本人の多くを苦しめてしまいます。
穢(けが)してしまう。
これは霊界的な視点がないと、まったくわからないことでしょう。
文献レベル、テキストレベルで侃々諤々しているなら、
単なる「妄想」にしか聞こえないはずです。
霊界的な視点を無視し、文献レベルで仏教と取り組んでしまったため、
仏教を教えの宗教、観念の宗教としてしまい、
一部の日本人の魂を、悲劇にしてしまった。
仏教の真意をつかむことは、通常はハードルが高い。
仏教を明朗かつポジティブな教理として理解することは、困難なのかもしれない。
いや、できないかもしれない。
日本人向けの仏教を提示、提唱する必要があると思う。
それが神道的なニュアンスを置いた「いまここ」。
これはまさにハートに根ざした有り様です。
「光の道」。
しかし神道は神道で、偽書である古事記・日本書紀をベースに置いているため、
霊系が歪み、混乱した状態になっています。
また、生命の一形態である天人(神霊)を崇拝し過ぎてしまい、
奇妙な人間関係(霊的関係)やらしがらみも出来てしまいがち。
ご神霊との関係は、結果。
あるいは、気楽に。
神道的な「からり」とした精神を軸にし、神霊とともに、社会の中で、
仏教の方法論である「いまここ」「自己観察」を行うのが、
日本人には合っていると思う。
そんなことを思う。
光の道。
これが日本人向けじゃないかと思う。
いいエレクトーン演奏。
楽曲がいい。
美しい曲です。
日本では、神道的な天晴れなニュアンスをベースにした
「いまここ」「自己観察」系が望ましいんじゃないかと思いますね。
これを「光の道」と言ってもいいんじゃないかと思います。
インド的な文脈の仏教は、むしろ日本人の心を穢(けが)します。
よくない。
この教理的な穢(けが)れを外していく必要があると思います。
しかし、こんなことをすればてんやわんやになりそう。
けれども、日本人は、人間や天人に転生する、転生してくるケースが多いため、
インド的な文脈の宗教は、かえって日本人の多くを苦しめてしまいます。
穢(けが)してしまう。
これは霊界的な視点がないと、まったくわからないことでしょう。
文献レベル、テキストレベルで侃々諤々しているなら、
単なる「妄想」にしか聞こえないはずです。
霊界的な視点を無視し、文献レベルで仏教と取り組んでしまったため、
仏教を教えの宗教、観念の宗教としてしまい、
一部の日本人の魂を、悲劇にしてしまった。
仏教の真意をつかむことは、通常はハードルが高い。
仏教を明朗かつポジティブな教理として理解することは、困難なのかもしれない。
いや、できないかもしれない。
日本人向けの仏教を提示、提唱する必要があると思う。
それが神道的なニュアンスを置いた「いまここ」。
これはまさにハートに根ざした有り様です。
「光の道」。
しかし神道は神道で、偽書である古事記・日本書紀をベースに置いているため、
霊系が歪み、混乱した状態になっています。
また、生命の一形態である天人(神霊)を崇拝し過ぎてしまい、
奇妙な人間関係(霊的関係)やらしがらみも出来てしまいがち。
ご神霊との関係は、結果。
あるいは、気楽に。
神道的な「からり」とした精神を軸にし、神霊とともに、社会の中で、
仏教の方法論である「いまここ」「自己観察」を行うのが、
日本人には合っていると思う。
そんなことを思う。
光の道。
これが日本人向けじゃないかと思う。
Posted by トリステーザ@ at 22:58
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