2019年01月17日
光
'IO' Ambient Modular Performance
「State Azure」さんのいい塩梅のアンビエントです。
いいですね。
ところで、お正月からスピリチュアルモード全開ですが、
書きためた記事はまだありますので、しばらく続きそうです^^
もしかすると1月一杯は、こんなモードかもしれません。
で、ここのところ祝詞も唱えたりもしています。
祝詞は、お経と違って、格調高い響きで、まるで唄のよう。
これがいいんですね。
ツボです。
が、日々、やることはやっています。
いつも通りです。
ただ、昨日、書いた「定力」は、数日前に気づいたことだったりします。
で、昨日、4日ぶりにウォーキングをしたのですが、
やっぱり感覚が違います。
足の裏に気づきがペタっと張り付くといいますか、
足の感覚が自分みたいな、そういう感覚です。
といいますか、うまく言語化できません。
ただ言葉で説明できることは、
昨年の暮れから起きていることとして、
・定力の高まり
・心の光化(ひかりか)
ですね。
マハーシ長老の「ミャンマーの瞑想~ヴィパッサナ観法」に
ある通りです。
・身体から光が出るようになる
・大きな喜びがあふれるようになる
・心身が非常に軽くなる
これですね。
で、「身体から光が出る」というのは確かに感じます。
これは心が光化してくるからだと思います。
いえ、正確には、意識の光化が強くなってくるからだと思います。
高次の喜びや高揚というのは「光」のエッセンスだったわけです。
ただ、この「光」は、物理的な光ではありません。
意識が感じ、意識が輝く「光」。
言葉で説明すれば、喜びとか高揚となりますが、
それは通常の喜びや高揚とは違って、
「光」としかいいようのないものだったりします。
「光」には、あらゆる徳が含まれています。
気づき、一体化、空、喜び、高揚、愛、生命、命、
異次元の認識、明朗、陽気、ポジティブ、寛容などなど。
全ての徳、高次元の心の機能、そういったも全てが含まれ、
これを総称して「善」と言っていたのでしょう。
一般的に「空」といえば、寂滅した感じを想像すると思います。
あるいは、平坦な感じ。
淡々とした感じ。
しかし、これは違います。
そういう枯れ木のように寂滅だったり、死んだように落ち着いたり、
どこか寂しさや空漠さのある平坦さや淡々とした感じは、単なる「イメージ」です。
心が生み出す「イメージ」。
実際は、「光」です。
意識の光。
と、そういうことを感じたりもしますが、
ただ、これも一時的な現象かもしれませんので、
しばらく観察が必要です。
ちなみに「集中」とは、集中して集中するものではないんですね。
意識に開けることで、その意識が強くなると、自ずと一体化(集中)が起きます。
集中は、意識本来が持つ機能といいますか、作用といいますか、
徳だったりします。
意図的に集中するのは、実は間違いであることが、
こうしたことからもわかりますね。

「State Azure」さんのいい塩梅のアンビエントです。
いいですね。
ところで、お正月からスピリチュアルモード全開ですが、
書きためた記事はまだありますので、しばらく続きそうです^^
もしかすると1月一杯は、こんなモードかもしれません。
で、ここのところ祝詞も唱えたりもしています。
祝詞は、お経と違って、格調高い響きで、まるで唄のよう。
これがいいんですね。
ツボです。
が、日々、やることはやっています。
いつも通りです。
ただ、昨日、書いた「定力」は、数日前に気づいたことだったりします。
で、昨日、4日ぶりにウォーキングをしたのですが、
やっぱり感覚が違います。
足の裏に気づきがペタっと張り付くといいますか、
足の感覚が自分みたいな、そういう感覚です。
といいますか、うまく言語化できません。
ただ言葉で説明できることは、
昨年の暮れから起きていることとして、
・定力の高まり
・心の光化(ひかりか)
ですね。
マハーシ長老の「ミャンマーの瞑想~ヴィパッサナ観法」に
ある通りです。
・身体から光が出るようになる
・大きな喜びがあふれるようになる
・心身が非常に軽くなる
これですね。
で、「身体から光が出る」というのは確かに感じます。
これは心が光化してくるからだと思います。
いえ、正確には、意識の光化が強くなってくるからだと思います。
高次の喜びや高揚というのは「光」のエッセンスだったわけです。
ただ、この「光」は、物理的な光ではありません。
意識が感じ、意識が輝く「光」。
言葉で説明すれば、喜びとか高揚となりますが、
それは通常の喜びや高揚とは違って、
「光」としかいいようのないものだったりします。
「光」には、あらゆる徳が含まれています。
気づき、一体化、空、喜び、高揚、愛、生命、命、
異次元の認識、明朗、陽気、ポジティブ、寛容などなど。
全ての徳、高次元の心の機能、そういったも全てが含まれ、
これを総称して「善」と言っていたのでしょう。
一般的に「空」といえば、寂滅した感じを想像すると思います。
あるいは、平坦な感じ。
淡々とした感じ。
しかし、これは違います。
そういう枯れ木のように寂滅だったり、死んだように落ち着いたり、
どこか寂しさや空漠さのある平坦さや淡々とした感じは、単なる「イメージ」です。
心が生み出す「イメージ」。
実際は、「光」です。
意識の光。
と、そういうことを感じたりもしますが、
ただ、これも一時的な現象かもしれませんので、
しばらく観察が必要です。
ちなみに「集中」とは、集中して集中するものではないんですね。
意識に開けることで、その意識が強くなると、自ずと一体化(集中)が起きます。
集中は、意識本来が持つ機能といいますか、作用といいますか、
徳だったりします。
意図的に集中するのは、実は間違いであることが、
こうしたことからもわかりますね。

Posted by トリステーザ@ at 06:35
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